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「知足楽山」は「足(た)るを知り、山を楽しむ」と読みます。

心に余裕を持って、人生を楽しむこと。無いものを追い求める
ことでは無く、まず今あることの喜びを感じること。その上で、
山の如く、落ち着いた心で、悠然とし、些細なことにこだわらぬ
生き方をする。

合氣道の精神そのものを表しています。



「知足」と「楽山」という二つの有名な言葉を合わせたものです。

 「知足」は

 『老子道徳経』の三十三章

 『知人者智 自知者明 勝人有力 自勝者強 知足者富』

 
 (人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つは力、
  自らに勝つ強。足るを知る者は富む)

 からで、また「正法眼蔵」の中で道元禅師は

 「もし、もろもろの苦悩からのがれようとするならば、知足を観ずべし、
足を知らない人は、たとい富んでいても心は貧しい、足を知れる人は
貧しくても心は富んでいる」
 「足を知らない人は、常に五欲にまどわされており、足を知れる人
から憐れみを受けるであろう、これを知足と名付ける」

 と説いています。


 また「楽山」は

 孔子の『論語』の雍也篇

 子曰、知者楽水、仁者楽山


 (知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。)

 の中で知者との違いの中で仁者を説明した言葉です。

  知者は『水』のように臨機応変に時流に対応していくことができるが、
  仁者は『山』のように泰然自若としていてその場限りの流行に流される
  ことなどはない。
  知者はアクティブに知性を用いながら実際の社会で活躍し続けるが、
  仁者は功績や名声を手に入れるような活動には興味示さず、静謐で
  道徳的な人生に時を費やす

知足楽山